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1949年 |
神戸市生まれ。 早稲田大学卒業。 光・レーザー関連商社愛宕物産㈱(後に㈱ホリバに吸収合併)でシステム開発部長兼外国部次長としてレーザー技術、営業経験を研鑚。 |
1990年 |
中沢商会㈱に常務として入社を皮切りに欧米主要レーザー彫刻機メーカーの国内での普及に奔走し、様々な業界及びユーザーと人的ネットワークを構築。その間、「レーザー彫刻機はツールでしかない」という視点から、現在のレーザー・デザインフォーラムの前身である非営利ものづくり研究グループ「レーザーアプリケーション研究会」を主宰。 |
現在 |
レーザー・デザインフォーラム代表として拓殖大学工学部産学連携研究センターでの共同研究を通じて「ものづくり・デザインを通じた人との関わりと感動」を提唱している。又、平成24年2月にレーザー・デザインフォーラムの事業会社「株式会社LDF」を設立させ、同社のCEOとしてものづくり機器の基軸でもあるレーザー加工機器の民間マーケットや大学等での販売にも注力し、今後のものづくり文化事業推進のための経済的基盤を構築していく。 |
将来 |
レーザー加工機だけでなく様々なものづくりツールを備えた「レーザー・Cafe」ネットワークを日本、世界に広げ、コミュニティでのものづくり教育、加工作品ギャラリー、ものづくり展示会の開催等を目指している。 |
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夏山 一彦 Kazuhiko Natsuyama
株式会社LDF CEO
レーザー・デザインフォーラム 代表 |
<もうひとつのプロフィール>
夏山の父(故人)が終戦後に創立した大阪の学校法人(幼稚園~高校)で理事として学校教育にも関わる。東京大学を始めとする有名大学にも毎年進学するほどの進学高であるが、創立者の建学精神のひとつでもある産業復興は現在のものづくり教育にも通じるところがある。 |
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愛犬(ポメラニアン)「はな」との散歩。
平成21年秋まで、同じくポメラニアンの「メイ」を飼っていたが、突然、心臓肥大で11歳で急死。
メイちゃんの写真は全国のレーザーユーザーの店頭にもレーザー加工サンプルとして登場。
急逝してしばらくは、ペットロスの悲哀を経験した。
◇◇◇
1年程して、はなちゃんがやってきた。
毛並といい、サイズといい、日増しにメイちゃんとそっくりになってきたが、
「メイちゃんの生まれ変わり」と思うのは飼い主だけ? |
「はなちゃん」
「メイちゃん」 |
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平成21年12月、車を運転中につんざくような胸の痛み襲われ、救急車で救急救命病院へ運びこまれた。
「大動脈解離」(石原裕次郎や加藤茶と同じ病気)という診断で、降圧治療で1週間~10日程度で退院できるでしょうとのことであった。
ところが入院5日目の夜、「足が痛い」という訴えで(本人は覚えていないが)緊急検査したところ、大動脈が破裂し、下肢に血液がいかない症状に悪化していることが判明。
すぐさま、緊急手術に!! 15時間に亘る大手術の間、手術室から「出血が止まらない!」との中間報告。担当外科医から「良くて半身不随の可能性がある。
生命を救うことに全力を尽くす」。 このような状況であったにもかかわらず、まさに起死回生できたのは、「度重なる強運と本人の生命力の強さ」と、主治医や身内。
第1に、救急で運ばれた病院が関東でも有数の心臓血管外科に強い病院であり、第2に、大動脈が破裂し、1分1秒を争う事態になったときに、ゴッドハンド(名医)がたまたま当直であったことが言える。
1ヶ月半ほどの入院であったが、この大病をするまでは「努力をした割には報われない不運の人生」と運の弱さを嘆いていたが、この大病からの起死回生により、過去の様々な「艱難辛苦」も、強運により最悪の事態を避けることができたり、また思わぬ逆転劇があったのも強運の所以と思うようになってきた。
*術後の激痛を抑えるために施った強い麻酔により10日間程の幻覚症状を経験したが、現実との区別がつかないくらい明瞭な幻覚症状を綴った「ある入院回想記」は、B級小説のようで面白い。 |
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